ACEF(アセフ)は1991年から、アフリカ・ケニアで教育、医療、環境の支援を行っているNPOです

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村上忠雄前代表 逝去

挨拶をする村上代表
挨拶をする村上代表

当会アフリカ児童教育基金の会ACEF 前代表 村上 忠雄氏が2014年5月6日 享年76歳で逝去いたしました

当会は、1983年より7年間続いた天理教団の「アフリカの飢えた子にミルクを」のキャンペーンを前身に、「元気な子 には教育を、病気の子には薬を」をモットーに、1990年10月26日NGOアフリカ児童教育基金の会を発足(1993年ケニアNGO登録、2003年 NPO法人登録、2012年NPOアフリカ児童教育基金の会ACEFに改名)。発足当初から約24年、村上忠雄氏が代表理事を勤め、教育、医療、環境保全 活動の3つの柱を掲げ、旧郵政省、外務省、または企業団体からの助成金と、皆さまのご支援をいただき、活動を行ってまいりました。

以下、1990年から不思議な縁で代表と出会い、家族7人でケニアに赴いた塩尻現地事務所所長が告別式におくった追悼文です。


村上代表 遠くケニアから代表の逝去に心から冥福を祈り、生前中のお導きにお礼申し上げます。
1983年「飢えた子にミルクを」のキャンペーンで始まったケニア救援の第一歩を踏み出された代表は、「たった一人、ぽつんと薄暗いケニアの空港に降り立ったんや」と、よく当時の話を聞かせてもらいました。

ナイロビからメルの田舎に移り住み、英語もスワヒリ語もわからないままの日々。「子どもには教育やで」と後押し下さる代表の後ろ盾を頂いて、私たちの子ども達もいい環境で学ばせて頂きました。長女をマラリアで亡くしたときも「心配するな 応援するで」といつも励ましてくださいました。

「元気な子には教育を 病気の子には薬を」のモットーを掲げる中に、診療所も3ヵ所開院でき、小学校は生徒 も400人になり、エンブ県450校のトップの優秀校に。洋裁学校から始まった職業訓練学校も今では12コース300人が学び、その他、植林やリサイクル事業にまで発展しています。「エイズに感染した子ども達が社会のどん底や」とエイズ孤児の世話をする孤児院が出来ました。ケニアに視察に来られ車で移動する際に話す中で、いつもこうしたアイデアをいただきました。

いつも「誰もがやめて、最後は『俺とおまえ』」だけになっても、ケニアの人々の幸せの役に立つお手伝いをしような」と勇ましてくださった代表。うまく行かない時は「成って結構、成らいでなお結構の心やで」といさめ、いつも羅針盤のごとく指導してくださった代表。今後もずっと導いて欲しかった代表の逝去は、ほんとに寂しく悔や まれてなりません。しかし、今までに導いてくださった数々の教えやアドバイスを忘れることなく、これまでに育ってきた200人近いスタッフと共に、更に救援にまい進する事が代表へのご恩返しだと思っております。

「俺が死んだら直美ちゃん(塩尻氏長女)のお墓の横に入れてや」と言い残された代表。7月8日にエンブ事務所敷地内にて納骨式を終えた今、これからはいつもそばで見守って下さっていると思うと励みになります。公私共に生前中に承ったご恩に感謝するばかりです。有難うございました。

(特非)アフリカ児童教育基金の会ACEF 現地事務所
  所長 塩尻 安夫

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村上忠雄前代表 逝去

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