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【①ACEFを生んだ人】(3回シリーズ)ACEF創設者 初代代表 村上忠雄

  • 2017年03月11日 (土)

Readyfor締めくくりの投稿①

*******はじめに*******

 この度、クラウドファンディングでの資金集めにあたり、ケニアで27年支援活動を続ける塩尻親子を代表として話を進めてまいりました。しかし私たちACEFの活動を紐解く時、1991年の設立から、さらにさかのぼる7年前より、すでに一つの物語は始まっていました。36年間アフリカの人々の救済にその魂を燃やし続けた、ある男性のお話です。

(特非)アフリカ児童教育基金の会ACEF クラウドファンディング実行委員会

 

第一回 『大河の一滴』

 それは、さかのぼること1981年8月の話。
東京都に住む三人姉弟の機関紙に寄せた一通の手紙が、読者の心を打った。

「しんぶんや、てれびで、おなかがすいて、こまっている、アフリカの子どもたちに、たべものを、あげてください。わたしたちきょうだい3にんのおやつだいをあげてください。よろしくおねがいします。」

 アフリカを100年に一度と言われる大干ばつが襲っていた当時、世界中で食糧難によりやせ細った子供たちの姿が、連日報道されていた。

浮き出る骨、顔に止まるハエを払う力もない、幼い子供たち。

日本の子供の目にもただ事ではないと映ったのだろうか、三人の姉弟がしたためた手紙と、同封した2000円が、こののち、8年間で4億円にものぼる義援金を集める“大河の一滴”になるとは、まだ誰も想像していなかった。

 投稿された手紙に、共感の声と寄付金が次々編集部のもとに届き、同年10月、その反響を受けて、「飢えた子にミルクを。」というフレーズとともに、キャンペーンが始まることとなった。

 当時、テレビの力は偉大だった。日本から12,000km離れた地域で起きる悲劇に、国民の救援の気運は高まり、たくさんの人が救いの手を差し伸べてくれた。

支援金は8ヶ月後には、2000万円にまでなっていたが、寄せられたのはお金だけでなかった。

「私たちの代わりに、このお金を困っている人に届けてください。」

日々、熱い思いとともに言葉をかけてくれる人、自身も活動に加わりたいと名乗り出る人など、活動は多くの人を取り込み、支援の輪は瞬く間に広がっていった。

ところがそのうねりが大きくなるにつれ、少しずつメンバーの心には、ある疑問が生まれていた。

「私たちは、お金を集めるだけで、本当にいいのだろうか?」

当初はわずかでも集めたお金を、すでに海外で支援活動をしている国際NGOへ提供するつもりで始めた募金活動だったが、支援者の熱意がメンバーの心を揺り動かしていた。「自分たちに何かできないだろうか。」

しかし、アフリカという未開の地を前に、誰がどこで、何をすればいいのか、答えを知っている人は、当時誰一人いなかった。

 1982年1月、キャンペーンの責任者はある男に相談を持ちかけた。

「このままどこかの団体に寄付するだけに留めておけない。
誰か視察に行って、現地の様子を見てきてくれる人がいないだろうか。」

 

この一見無謀とも言える相談に「僕が行きますよ!」と答えた人こそが、7年後にACEFを生みだすこととなる、村上忠雄だった。




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